私が開院した理由

なにを仕事にすればいいのかわからない…

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今からおよそ13年前・・・。

高校生の頃の私は、将来やりたいこと

が見つかっていませんでした。

「祖母や両親の介護の役に立つ。」

「福祉を学べば、これからの社会に貢献できそう。」

という単純な理由から、久留米大学文学部社会福祉学科に入学しました。

学校に行きながら、同時にたくさんのアルバイトをして、自分の道を探していました。

「自分が本気で進みたい道ってなんだろう…?」、とずっと悩んでいました。

 

介護福祉施設での現場実習

大学3年時には、介護福祉施設へ現場実習に行き、身体が不自由な方の、食事、入浴の介助などをしました。

入所者の中には、膝や腰の痛みをくり返し訴える方もいました。

しかし、私にできることは、話を聞くことだけです。

ふとその時に、

「なんとか、楽にしてあげられたらいいのにな・・・。」

という気持ちが芽生えたのを強く感じました。

実習を終えて、やりがいよりも無力感を覚えた私は、

「この先どうしよう?」という不安のまま、大学を卒業します。

 

パン職人に ~パン屋クリーブラッツでの修行

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卒業後、佐賀県のパン屋クリーブラッツの
弥生が丘店で働きはじめます。

やりたいことが見つかっていなかった私は、

「ここなら、自分を鍛えられそう。楽しそう!」

と思い、 ほとんど勢いで飛び込みました。

焼きたてパンがとてもおいしくて感動したのと、

このお店がとても繁盛していたからです。

1日何百個ものパン作りや、230℃の熱いオーブンの前での仕事は、

本当にハードでした。12時間労働で、ずいぶん身体はタフになりました。

製造の仕事の、仕込み、成型、焼きまで、一通り勉強させていただきました。

そして、

「地元に自分のお店を持ちたい。」、

「私の両親や祖母、お世話になった方たちに恩返しがしたい。」

という思いを強く抱くようになりました。

 

パン屋修行3年目の苦悩

3年目は、小郡本店のリニューアルスタッフとして

異動・勤務しました。

小郡本店は小さいお店で、作るだけではなく、接客・販売、

経営の仕方も学べるので、自ら志願して異動させて頂きました。

新規オープンして、あまりの忙しさで、帰りが深夜になることも

度々で、体力的・精神的にも疲れ果てていきました。

「早く仕事を終わらせて帰りたい。」、

「仕事を少しでも短時間でしよう。」という思いが強くなっていきました。

単純な失敗が増え、店長に怒られて余計に力が発揮できない悪循環に。

このころから、疲労が取れにくくなり、頭痛や胃痛が出て、

精神が不安定になり、幻聴までもが現れるようになっていきました。

体のケアや休養が必要だったのでしょう。

私は空虚な気持ちになり、パン作りが楽しめなくなっていましたが、

「自分のお店をしたい。」という気持ちは変わりませんでした。

「石の上にも3年」の思いでパン屋を続けながら、他の仕事を探します。

この時、両親やクリーブラッツの社長・同僚に、とても相談に乗っていただいて、

今でも本当に感謝しています。

 

大川カイロプラクティックとの出会い

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『自分で開業できる仕事』を考えたときに、
まず本屋に行きました。

いろいろなコーナーを回りながら、どんなものに自分の興味が強いのか、 何をしたいのか、を一つ一つ慎重に確認していきました。

そこで、特に気になった治療院の開業の本を、すべて購入して読みました。

その中に、大川カイロプラクティック専門学院の大川学院長の本があったんです。

大川先生の人生ストーリーを読んで、頭に雷が落ちたかのような衝撃を受けました。

考え方に共感を得たことと、学院の育成システムの充実が魅力的でした。

健康の大切さを実感していましたし、介護実習のことも思い出しました。

「この仕事をしたい。」と心から思いました。

プロの整体師(カイロプラクター)を目指して、私は、動き出しました。

2010年7月でパン屋を退職し、2か月間で休養と準備をして、

10月生として大川カイロプラクティック専門学院に入学します。

東京での一人暮らしが始まりました。

 

旗の台整体院での修行

8人

1年のころから、大川グループ直営院の、旗の台整体院で勤務しながら、 学校に通っていました。

時間に追われながら、勉強と仕事に明け暮れる毎日でした。

そのおかげで、施術の技術だけでなく、患者さんの気持ちを くみ取った対応や会話が少しずつできるようになりました。

「よくわからないけれど、山路さんに会うだけで、

 癒されて元気になる!」

そう言われるような施術家になりたいと考えていました。

まだまだ道半ばですが、その思いは変わっていません。

当時は、「早く成長したい。」、「患者さんの症状をなんとかしたい。」、

「旗の台整体院に貢献したい。」、この気持ちだけで生きていました。

食費や娯楽費を削り、テレビは一切見ず、健康関連の参考書ばかり

を読むような、ストイックな生活でした。

 

生き方が変わった『 交通事故 』

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そのような中、自転車で学校に向かう途中で、
2トントラックにはねられる事故に遭いました。

青信号で渡ったのですが、急いでいたために
左右の確認を忘れ、突っ込んできたトラックと
ぶつかってしまいました。

その後は、体がしびれて動けず、救急車で運ばれましたが、

幸運なことに怪我もなにもなく、すぐに仕事に復帰できました。

私の生き方は、この日から大きく変わりました。

「運が悪ければ、二度と患者さんや仲間、家族に会えなかった。」、

「来年も生きていられる保証なんてないんだ。」

という思いから、

「健康で落ち着いた生活を送っていれば、きっと事故に遭わずにすんだ。」、

「今生きていることは、最高に幸せなことで、命(体と心)を大切に

 することは、一番に優先しなきゃいけないことだったんだな。」

と考えるようになりました。

生き急いでいた自分を改めて、周りの方を大事にするために、

まずは自分を大事にして健康を維持していこうと決めました。

 

全国の治療家の先生との出会い

その後は、定期的に体のメンテナンスを受けて、勉強も

兼ねて遠くの治療院に施術を受けにも行きました。

治療家の先生方が多く集まるセミナーなどに出席して、

交流できたことも人間的な成長につながり、大きな財産となりました。

アドバイスを頂き、施術の幅が広がり、症状の治癒率も向上しました。

退職までに、のべ三千人以上の臨床実績を積むことができました。

 

いつまでも変わらぬ思いで

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高校生のころから進む道に迷い戸惑い、紆余曲折ありましたが、やっとたどり着けました。

30歳で地元福岡での開院という夢を叶えました。

応援していただいた多くの方のおかげです。そして、
スタートはこれからです。

次は、

「一人でも多くの方に健康に、元気になっていただく。」

という夢に向かっていきます。

地域のみなさんの健康維持のお役に立てるよう、日々努力していきます。

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